院長紹介

写真院長の市川尚彦です
1972年南牧村にで誕生
中学3年のとき、バレーボールの練習中に腰痛になり
高校1年で痛みのあまり日常生活ができなくなり病院へ入院(診断は重度の椎間板ヘルニア)4ヶ月の入院生活の後、手術前日に病院を脱走し骨盤調整 中村整体術での治療に運命を賭ける。
その後、高校を卒業するまで治療に通い、卒業と同時に中村整体術に弟子入り、
5年の修行を経て1996年7月に市川整体術を高碕市足門町に開業、現在に至る 

 


私の腰痛体験

うっ、痛いスパイクを打ち着地した瞬間、腰に激痛が走った。私はそのままその場で動けなくなった。
これが、ぎっくり腰の初体験であった。立つ事はもちろん這う事さえできず仲間たちに手を貸してもらい
この日は、先生の車で家まで送っていただいた。だが、その後二、三日安静にしていると痛みもだいぶ
治まり学校へは行けるようになったが、足が痛い左のふくらはぎが痛いのだ、歩いていても、座っていても
寝ていても痛いなぜ足が痛いのかこのときは分からずに整形外科の門をたたいた。診断は肉離れ?
触ってみる訳でもなく、(中学生、バレーボールをしている、足が痛い=肉離れ)今思えばそんな適当な
診断だったが、当時中学生の私には医者が肉離れと言えばそうだと思っていた。それは、両親も学校の先生も
誰も疑わなかった。この痛みが椎間板ヘルニア、あるいは坐骨神経痛だと知ったのは入院してからだった。
肉離れだと思っていた私は3週間も安静にしていれば良くなると思っていたが一ヶ月が過ぎ二ヶ月が過ぎ
三ヶ月が過ぎても良くなる気配がない、何度医者に言っても肉離れだと安静にしていない私が悪いと怒られる
しまつ、だんだん痛みがシビレに変わり体がいつもシビレているのがあたりまえになり慣れて来た。この頃に
なるとシビレを我慢すれば何とかなるので医者に行くのもあきらめ学生生活を送っていた。

つづく



 



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